小説の後書きとかいい訳とか。あとは雑記。
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日差しの差し込む南の領域のテラスで、わたしたちは午後のお茶を楽しんでいた。<BR>
コンパニオンであるルイゼがテーブルの反対側に座っている。わたしよりも少し年上の、可愛らしい女性だった。<BR>
嫁いでから半月が過ぎようとしていた。わたしの毎日は、ウィロウさまを中心にして回っていた。朝起きてから寝るまで。寝てからも、かもしれない。毎日、スケジュール通りの行動をとられるウィロウさまなので、それは決して難しいことではなかった。それは、時折、イレギュラーなことも起こりはするけれど、基本、決まった時間に決まったことをして過ごされるウィロウさまだった。それは、以前も今もこれからも、変わることはないのだと思われた。ウィロウさまにとってはそこに、おそらくは、わたしとの生活が加わっただけなのだろう。朝食の時、アフタヌーンティーの時、晩餐の時、わたしがウィロウさまのお顔を見ることができるのは、早朝と夜遅くを除くとそれくらいだったけれど。それに、それにこれまで、最初の夜を除いて、わたしはほぼ毎夜、ウィロウさまと夜を共に過ごしていた。<BR>
「ウィロウさまは今日は遅いのね」<BR>
いつもなら顔を覗きに来てくださる頃合いなのに。<BR>
暗にそうほのめかせば、<BR>
「お寂しいのですか?」<BR>
ルイゼが小首を傾げる。<BR>
微笑ましいと言いたげな彩りがルイゼの小さめなくちびるをかすめた。<BR>
「そういうわけじゃないけど………」<BR>
ケーキスタンドの上のフェアリーケーキをひとつ取り上げる。イチゴジャムの入った、バタフライケーキだった。<BR>
お行儀が悪いけれど、紙をはがして、そのまま頬張る。そんなわたしを、ルイゼが目を丸くしてみていた。<BR>
「ウィロウさまには内緒、ね」<BR>
ルイゼは皿に取り分けて、フォークで四分の一に切って口に運ぶ。ただでさえ小さなカップケーキが名前の通り、まるで妖精が食べるケーキのように見えた。<BR>
「旦那さまは、御子息さまのお部屋にいらっしゃるのでは?」<BR>
「どうして?」<BR>
ふと思い出したというように、ルイゼが口にした。<BR>
「たしか、今朝から体調を崩されていらっしゃられるとか聞き及んでおりますよ」<BR>
白−−−が脳裏をよぎった。<BR>
義理の息子になったアークレーヌさまのあの独特な容姿を思い出す。まだ未完成の初々しさを持つ、線の細い少年。長い前髪が表情を判りづらく見せていて、かろうじてあの印象的な赤いくちびるが頑なな心情を湛えているように見えた。<BR>
アルカーディに嫁いで半月、”御子息さま”、”御曹司”と呼ばれるアークレーヌさまとお話ししたのは最初の夜のほんのすこしだけだった。それ以来、顔をあわせることもなく過ごしてきた。館が広いこともあって不思議なことではないのだろうけど、ルイゼが言うには貴族というのはこういうものだそうだけれど、故意に避けられてるのじゃないかと勘ぐってしまう。<BR>
あの少年が、体調を崩している。<BR>
「大丈夫なの?」<BR>
最初の夜も、体調が悪いと晩餐の席を早々に立っていた。あの時の、本当にお辛そうだった青白い頬を思い出す。<BR>
「お小さい頃からおからだがお弱いと聞いておりますし。あと、お見舞いの必要はございませんと伺っております」<BR>
そういえば、からだが弱いと聞いたような。<BR>
「誰から?」<BR>
「ハロルドさんからですわ」<BR>
それにしても、<BR>
「十六の男の子をそこまで心配する?」<BR>
少し、ほんの少し、これはやきもちなのかも知れなかった。けれど、義父は、兄たちが幼い時に体調を崩したくらいではさほど心配をしたようすを見せたことはなかったのだ。<BR>
「………跡取りですもの。ご心配でしょう」<BR>
そっと、わたしを気遣うふうを見せながら、ルイゼが小さくささやいた。<BR>
「………」<BR>
跡取り。<BR>
考えたことはなかったけれど、そうなのだ。<BR>
彼が、次のアルカーデン公爵さまなのだ。<BR>
わたしにこどもができたとしても、この家を継ぐことはできない。<BR>
それが少しだけ、本当にちょっとだけ、気になった。<BR>
紅茶に手を伸ばした。<BR>
冷めて渋みの際立つ味は、どこかわたしの感情に似ている、そんな他愛のないことを考えた。<BR>
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その日の夜からしばらく、ウィロウさまと夜を過ごすことはなかった。<BR>
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そうしてウィロウさまに嫁いで一月が経とうというころになって、わたしは、わたしの妊娠を知ったのだった。<BR>
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「大丈夫でございますか」<BR>
従うヴァレットが口にする耳に馴染んでしまったことばを素通りさせながら、僕は館に戻った。<BR>
−−−大丈夫だと言っては嘘になる。<BR>
−−−大丈夫じゃないと言って、どうなるというのか。<BR>
僕はどうせ一生ここから出ることはないだろう。<BR>
戦う前から負けている負け犬なのだという自覚は痛いくらいにある。<BR>
父に心底から逆らうことができずにいる自分を、僕は知っている。いつしか苦痛の中から肉の悦びを拾い上げてしまうようになったこの身の浅ましさを自覚せずにはいられなかった。<BR>
狂ってしまった父。<BR>
その狂気が、母の死ゆえだと。<BR>
その悲しみを分かち合う親子が、肉欲をも分かち合うその狂ったありさまに、絶望を覚えながら逃れることさえもしないでいるのだ。<BR>
泣きわめき拒絶を口にしながら、一歩を踏み出さない。<BR>
逃げない−−−と。<BR>
そんな僕を知っているからこそ、父は、僕を自由にさせているのだ。<BR>
今更、僕が貴族以外の暮らしができるわけもない。<BR>
それくらい、僕だとてわかっている。<BR>
貴族としての諸々を全て剥ぎ取ってしまった僕は、ただの能無しにすぎないのだ。<BR>
絵はあくまで趣味にすぎない。<BR>
もはや満足に弾くことのできないピアノだとて、以前ですら趣味の範囲でなら褒められるていどの腕だったろう。<BR>
頭もさして良くはない。<BR>
身体能力など、推して知るべしでしかない。<BR>
こんな僕が家を出て、何ができるというのか。<BR>
以前ほど恐怖心を覚えなくなったとはいえ、未だ時折覚えるひとに対する恐怖を抱えたままで。<BR>
これでは、貴族としてさえ生きて行くことはできないだろう。<BR>
こんな僕のどこが”大丈夫”だというのか。<BR>
もはや、”大丈夫”ということばを口にすることすら億劫になっていた。<BR>
「おかえりなさいませ」<BR>
ハロルドのことばに、<BR>
「しばらく休む。誰も通すな」<BR>
どうせ父には反故にされるとわかっている命令をしていつもの寝室に戻るつもりだった。<BR>
しかし、僕の足はその部屋の前を通り過ぎた。<BR>
通り過ぎて、ずっと奥、突き当りにある隠し階段を上る。そのまま五階のあの小部屋に僕は入っていた。<BR>
緑色の別珍に複雑な模様を織りだしたベッドカバーを剥ぐ。猫はいない。まだ戸外をうろついているのだろう。<BR>
むしり取るようにスカーフを抜き取り、ジャケットを脱ぎ捨てた。<BR>
靴を脱ぐのに少し時間はかかったがそのままベッドに入り、布団を頭からかぶった。<BR>
まだ風が冷たかったせいだ。<BR>
全身の震えをそう言い訳する。<BR>
己の無能さに叫びだしたくなったわけでは、決してない。<BR>
己の無能さに、泣きたくなったわけではない。<BR>
感情の澱が心の底にどろどろといやらしい渦を巻く。<BR>
それに震えながら眠った僕は、悪夢を見た。<BR>
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「近寄らないでっ!」<BR>
頬で爆ぜた熱に僕はびっくりして、泣こうとした。<BR>
けれど、そんなこと意味はなかった。<BR>
「お前などっ! お前などいらないっ!」<BR>
僕の頬を打った畳まれた扇が、僕の頭と言わず首と言わず背中と言わず、ありとあらゆる箇所を打ち据えたからだ。<BR>
痛くて、熱くて、悲しくて、寂しくて、ただ床にうずくまっていた。その脇腹さえ、先の尖った靴で蹴られて、僕はひっくり返ったカエルのように天井を向いて転がった。その腹の上に、細いヒールが押し当てられる。<BR>
ヒッヒッと、声にならない引きつった泣き声を無様にこぼしながら、僕は涙に霞んだ視界に映るそのひとを見上げていた。<BR>
そのひとが誰か、僕は知っていた。<BR>
「おかぁさま」<BR>
声にして呼べば、止めてくれるのではないかと思った。<BR>
けれど、<BR>
「ヒッ!」<BR>
伸ばした手でつやつやしたドレスの裾を握りしめたけれど、<BR>
「さわらないでっ」<BR>
足は外されたけれど、そのひとも僕に背を向けて何処かに行ってしまわれた。<BR>
僕の手の中に、ドレスの裾に縫い付けられていた同色のレースの切れ端だけが残っていた。<BR>
しばらく、僕はそのままの体勢で引きつった泣き声をあげていた。<BR>
やがて、ドアが開き、軽い足音が響いた。<BR>
「ああ。アークレーヌ」<BR>
先ほどどこかに行ってしまわれたおかあさまが別のドレスに着替えられて戻ってこられ、僕を抱きしめてくださった。<BR>
「ごめんなさい。ごめんなさい。あなたは悪くないの。少しも。決して。愛しているわ」<BR>
抱きしめてくださって、頬ずりをしてくださった。やさしく涙を拭いてくださった。<BR>
「おかぁさま」<BR>
「ええ。ええ。お母様ですよ。アークレーヌ。わたくしの可愛い子」<BR>
頭を撫でてくださって、<BR>
「さあ、お着替えをしましょうね。その前に、傷の手当てをしてしまわなければ。痛かったわね。ごめんなさい。辛かったわね」<BR>
ぽろぽろとおかあさまがながされる涙が、僕の頬を濡らした。<BR>
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ギィギィと軋る音が耳障りだった。<BR>
目を開けてみれば、ステンドグラスから降り注ぐ色とりどりの光の中に、なにか黒いものが揺れていた。<BR>
「おかぁさま?」<BR>
喉が痛かった。<BR>
ああ。<BR>
思い出す。<BR>
おかあさまが僕の首を絞めたのだ。<BR>
泣きながら、笑いながら、僕の首を絞めた。<BR>
だから、僕は苦しくて、そのまま死ぬのだと思った。<BR>
怖かったけれど、おかあさまの様子のほうがその何倍も恐ろしくてどうすればいいのかわからなくて、そのまま意識を手放したのだ。<BR>
おかあさまは、僕に死ねと仰るのだ。<BR>
どうしてお前が生きているのと、仰る。<BR>
憎いと、仰られる。<BR>
お前などいらないと叫ばれる。<BR>
そうして、いつもいつもどこかに行ってしまう。行ってしまって戻って来る。そうして、いつもいつも、泣きながら謝るのだ。<BR>
ごめんなさいと。<BR>
愛していると。<BR>
あなたが悪いのじゃないと。<BR>
だから、僕は、わからないのだ。<BR>
ここにいていいのか悪いのか。<BR>
生きていていいのか悪いのか。<BR>
何もかもがわからない。<BR>
だから、わからなくて、おかあさまのすることに抵抗することができなくなった。<BR>
おかあさまが死ねと仰られるのなら、死ぬしかないのだと。<BR>
悪いと言われるのなら、僕が悪いのだと。<BR>
暗い暗い意識の底で、僕は、このまま死んだほうがいいのだろうと、思った。<BR>
けれど、僕は死んではいなかった。<BR>
生きている。<BR>
死んでいない僕は、おかあさまに怒られる。<BR>
おかあさまが泣いてしまわれる。<BR>
けれど、あの苦しさをもう一度味わいたいとは思わなかった。<BR>
喉が痛い。<BR>
見上げた視線の先、黒い梁から下がったロープの先で、おかあさまが揺れている。<BR>
揺れるたびに、いろいろな色が、おかあさまを飾る。<BR>
埃の舞う、暗い部屋の中、ステンドグラス越しの日差しだけが、揺れるおかあさまを彩っていた。<BR>
「おかあさま?」<BR>
いつも綺麗にお化粧をされているおかあさまとは思えない奇妙なお顔をなさって、おかあさまが僕を見下ろしていらっしゃる。<BR>
「にらめっこ?」<BR>
おずおずと、僕も変な顔をしておかあさまを見上げたけれど、おかあさまは笑ってくださらない。<BR>
そんなに変な顔ではなかったろうかと、口を大きく開いたり、目を左右に指で引っ張って細くしたり、鼻を押し上げてみたり、いろいろしてみたけれど。<BR>
少しも反応を返してくださらないおかあさまに、僕がどうしようもない寂しさを覚えた頃、<BR>
「こんなところにいたのか、レイヌ。アークレーヌ」<BR>
心配そうな声が聞こえてきた。<BR>
「おとうさま………」<BR>
僕が言い終えるかどうかという時、<BR>
「レイヌっ!」<BR>
大きな音を立てて、おとうさまが部屋に入ってきた。<BR>
「アークレーヌ、見てはならないっ! ハロルド手伝え。レイラ嬢、アークレーヌを部屋の外にっ」<BR>
幾つもの小さな悲鳴は、名を呼ばれることのない召使たちのものだった。<BR>
けれど、そんなことはどうでもいいことだった。<BR>
僕は、ただ、びっくりしていたのだ。<BR>
父の大きな声にもだけど、それよりも、<BR>
「おかあさまが………ふたり」<BR>
僕の目を白いやわらかな掌で覆い隠した”レイラ嬢”と呼ばれた女性は、おかあさまだったからだ。<BR>
「アークレーヌ。さあ、部屋を出ましょうね」<BR>
そのまま僕の肩を抱いて、おかあさまと一緒に部屋を出る。<BR>
けれど、僕は、呆然としていた。<BR>
にらめっこをして揺れていたおかあさまと、僕と一緒にいるおかあさま。<BR>
僕には、ふたりのおかあさまは、まるっきり同じ顔だった。<BR>
こちらのおかあさまの手を振り切って振り返ってみても、もう揺れていたおかあさまを見ることはできなかった。<BR>
「おかあさま?」<BR>
「後でね。みんなの邪魔になるから、お部屋に戻りましょう」<BR>
いつもよりも強く手を握られた瞬間、<BR>
「やっ」<BR>
思わず振り払っていた。<BR>
全身が震えた。鳥肌が立つような恐怖と嫌悪とに襲われたのだ。<BR>
「アークレーヌ?」<BR>
目の前にしゃがみこんで、おかあさまが僕を見る。<BR>
悲しそうに、辛そうに、苦しそうに。<BR>
僕の首に、おかあさまの細い手が伸びてくる。<BR>
僕は、首を横に振る。<BR>
ぽろり−−−と、涙がこぼれ落ちた。<BR>
「痛かったわね。怖かったわね。でも、大丈夫よ。大丈夫」<BR>
僕を抱きしめて、耳元で、
「痛いことをするひとは、もういない」<BR>
小さくささやいた。<BR>
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