小説の後書きとかいい訳とか。あとは雑記。
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<BR>
<BR>
あれが、何を意味していたのか。<BR>
悪夢の只中にあって、僕はようやく理解した。<BR>
あれは。<BR>
あれこそが、僕の本当の母親だったのだ。<BR>
夢の中で、父は、彼女をこそ”レイヌ”と呼んだではないか。<BR>
では。<BR>
あの優しい白い手の主は、父が”レイラ”と読んだ彼女は、僕の本当の母親ではなかったのだ。<BR>
ゆらゆらと揺れた、青黒い顔。<BR>
あの顔が、幼い頃の僕を苦しめた。<BR>
夢に出てきて、僕を睨み付けるのだ。<BR>
そんな僕に、”レイラ”が、呪(まじな)いをかけた。<BR>
彼女の首にかけられていた銀のクルスが、ゆらゆらと揺れて、幼い頃の悪夢(リアル)を心の底へと押しやったのだ。<BR>
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<BR>
ギィギィと耳障りな音に誘われるように、目を見開いた。<BR>
暗い。<BR>
ああ、何時だろう。<BR>
時計のないこの部屋ではわからない。<BR>
喉が渇いた。<BR>
寝室に戻らないと。<BR>
起きあがって、身震いする。<BR>
寒かったのだ。<BR>
ぐらりとめまいのするような感覚に襲われて、しばらくその体勢から動けなかった。<BR>
悪夢のせいだろう。<BR>
肩で息をするようにして、めまいをやりすごす。<BR>
その間にも、ギィギィと癇に障る音がする。<BR>
ギィギィと−−−まるで僕の脳からすべてを取り込もうとするかのように、耳の奥へと入り込んでくる。<BR>
気持ちが悪い。<BR>
立ち上がるのは億劫でたまらなかったが、このままここにいては駄目だとなにかが僕を急かしてくる。<BR>
つるりとながれ落ちる生汗の感触にからだを震わせながら、ようようのことで立ちあがった僕は、息を呑んだ。<BR>
<BR>
まだ、悪夢の中にるのだろうか?<BR>
<BR>
ぼんやりした意識のどこかで、猫が鳴いた。<BR>
<BR>
ギギィと、より大きな音がして。<BR>
黒く太い紐からぶら下がった女が、僕を見てくちびるに弧を描いて見せた。<BR>
<BR>
「おかぁさま」<BR>
声に出しただろうか。<BR>
僕の記憶は、そこで途切れた。<BR>
<BR>
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<BR>
*****<BR>
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<BR>
「どうして?」<BR>
目を疑った。<BR>
<BR>
南の領域に新たに設けた、やがて生まれてくるこどものための部屋だった。<BR>
わたしの部屋の続き部屋を、ウィロウさまにお願いしてこどものために設え直したのだ。<BR>
『あなたとこどもの領域だから、好きにして構わない。なにか必要なものがあれば遠慮なくハロルドに言うといい』<BR>
どこか物憂げなようすでウィロウさまはそうおっしゃってくださった。<BR>
まだ男の子か女の子かもわからないこどものために、やわらかなクリーム色の壁紙を選んだ。温かな春の日差しめい淡い黄色のカーテンも選んだ。少し濃い黄色の糸で細かな花や鳥や蝶の刺繍をしてある可愛らしくて手の込んだものだ。絨毯は毛足の長い濃い目のシナモン色の地色に白い花模様にした。家具は、赤ん坊にはまだ必要ではないだろうから、その代わりにたくさんのクッションを準備した。これで怪我もしにくくなるだろう。この部屋で這い這いをするウィロウさまとわたしのこどもの姿を思い描いて、わたしは胸の奥が暖かくなるのを感じた。<BR>
その昔流行った宝飾品ほども値段がしたというレースみたいな薄いレースの天蓋付きのベビーベッドも取り寄せた。とても細かなバラと天使をモチーフにしたリネンの白が、艶出しで光るクルミ材のベビーベッドにとてもよく映えた。これは、必要がなくなるまではわたしのベッドの脇に置くことになるだろう。寝心地がいいように、やわらかなコットンの寝具を厳選した。<BR>
準備をしている間はとても楽しくて心がうきうきと弾んだけれど、ほんの少しだけ小さな魚の骨のような不満があった。<BR>
どうして、ウィロウさまは一緒に選んでくださらないのだろう。<BR>
ふたりのこどものものをふたりで選ぶのは、とても大切で楽しいことのはずなのに。<BR>
首都までは遠すぎて、カタログを複数取り寄せた。<BR>
それを一緒に見るのは、ウィロウさまではなく、ルイゼなのだ。<BR>
もちろん彼女に不満があるわけではないけれど、ウィロウさまと一緒に見て、こどものことやその他他愛のないおしゃべりをしたいという思いがあるのが事実だった。<BR>
たとえばこれと思うものがあって、ウィロウさまにご相談したい、お見せしたい、感想を聞きたいと思っても、ハロルド止まりで終わるのだ。<BR>
こどもの産着に関しても、なにもかも。<BR>
「ルイゼ。ウィロウさまはこどもには関心がないのかしら」<BR>
そう言ってみた。<BR>
もちろん、ルイゼは未婚だから、こういう相談はお門違いなのだろうけど、訊ねずにはいられなかったのだ。<BR>
「ケイティさま。ご安心ください。以前母が姉を諭していたのを小耳に挟んだことがあるのですけれど、男親というものは、赤ん坊をその目にするまでは自分の子という認識を持てないものだそうですわ」<BR>
思いもよらない返答に、わたしは目を大きく開いただろう。<BR>
「そういうものなの?」<BR>
「だそうですよ。なんでも、女性は自分の内にこどもを実感できますけど、男親は目で見て触るまではやっぱり、こう、自覚しにくいのですって」<BR>
ですからね。<BR>
こどものことは、女性同士の方が忌憚なくお話できていいですよ。<BR>
「そうなの?」<BR>
「はい」<BR>
にっこりと笑うルイゼに、<BR>
「じゃあ、この布とこの布のどちらの産着がいいかしら」<BR>
カタログについていた小さな布の切れ端を二枚差し出したのだ。<BR>
<BR>
そういて、いくばくかの不満はあったものの、着々とこどもを迎える準備が整って行った。<BR>
そうして、今日。<BR>
「どうして?」<BR>
まだ目立つことのないお腹を撫でながら小部屋の扉を開けたわたしは、そんなうめきとも知れない声をあげていた。<BR>
悲鳴なんででなかった。<BR>
足から力が抜けて行くのがわかった。<BR>
ドアの端っこを手で擦るように、わたしはその場に蹲った。<BR>
顔を覆う。<BR>
だって。<BR>
なぜなら。<BR>
「誰が………」<BR>
生まれてくる子のために誂えた部屋の中が、これ以上ないというほどに荒らされていたからだ。<BR>
壁紙もカーテンもクッションさえもがズタズタだった。<BR>
クッションの詰め物があちこちに撒き散らされ、絨毯にはインクが染み込んでいる。<BR>
いたずらなんかじゃない。<BR>
唯一裂かれていなかった一番心地良さそうな大きいクションに突き立てられた裁ちばさみが、それを示唆しているような気がした。<BR>
あまりにも明確すぎる害意。<BR>
それを感じた。<BR>
誰かが、この子の誕生を喜んでいない。<BR>
「………アークレーヌさま?」<BR>
不意に脳裏をよぎったのは、あの白い容姿だった。<BR>
ウィロウさまに嫁いで二月近く、会話という会話もない、義理の息子。<BR>
顔すら数えるほどしか見たことのない、三つ年下の、アークレーヌ・アルカーディ。<BR>
彼なら?<BR>
首を横に振る。<BR>
わたしにこどもができたとしても、彼が次期公爵であるという事実は変わらない。<BR>
”御曹司”と呼ばれるのは、彼だけなのだ。<BR>
それに、彼がここにどうやって忍び込むというのだ。<BR>
ここは、わたしがメインに使っている部屋の奥の端なのだから。<BR>
わたしや召使の目を盗んでここにくるのは、難しいのに違いない。<BR>
けれど。<BR>
なら。<BR>
いったい誰が?<BR>
「きゃあっ」<BR>
つん裂くような悲鳴にわたしの思考は断ち切られた。<BR>
いつの間にかルイゼがわたしの近くで、悲鳴をあげていた。<BR>
「奥さま。これは?」<BR>
「ひどい」<BR>
「なんてこと」<BR>
たちまち召使たちが駆けつけてくる。<BR>
最後にウィロウさまとハロルドとが駆けつけてくると、その只中で、ルイゼはくたくたと気絶したのだった。<BR>
<BR>
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*****<BR>
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<BR>
「危のうございます」<BR>
ヴァレットが差し出してくる手を思わず払いのけた。<BR>
「すまない」<BR>
気まずいままに謝罪が口をつく。<BR>
本来なら使用人に対して口にすることではないのだが、最近の僕は、いつにも増しておかしいのだ。<BR>
自覚はあった。<BR>
「差し出がましいことをいたしました」<BR>
先導でソファに腰を下ろした。<BR>
僕のからだが、僕のものであって僕のものではない。そんな、変な感触に捉われてどれくらいになるだろう。<BR>
足にまとわりついてくる猫を膝に抱き上げる。<BR>
あの日。<BR>
どうしようもないほど己の情けなさに震えたあの日。<BR>
実の母親の記憶を取り戻したあの日。<BR>
育ての母をそうと認識したあの日。<BR>
目が覚めると父に抱きしめられていた、あの朝。<BR>
あれからだろうか。<BR>
いつも以上にぼんやりしている。<BR>
今カップを持っている手は確かに僕のものだという感覚はある。しかし、手から伝わるそのすべらかな感触が、何か薄い膜を一枚隔てたもののように感じられるのだ。<BR>
そう。<BR>
全てが全てにおいて、そんな、一枚の膜ごしに見て、聞いて、しゃべっている、感じている、そういう不快感を伴っていた。<BR>
怠い。<BR>
何もする気が起きなかった。<BR>
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