小説の後書きとかいい訳とか。あとは雑記。
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*****<BR>
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あれはなに?<BR>
ほんの少し開けた扉の前で始まったウィロウさまとアークレーヌさまを含むやり取りに、わたしはドアから出ることができなくなった。<BR>
何食わぬ顔で出ればよかったのかもしれない。<BR>
けれど、できなかったのだ。<BR>
だって。<BR>
ウィロウさまのガウンを羽織られた後ろ姿はともかくとして、アークレーヌさまがなぜこの東の領域の廊下にガウン姿でいるのか。銀の縁取りのある濃紺のガウンの帯が不器用な固結びになっているのを微笑ましいと思えばいいのか、それとも乱れたさまのしどけなさにだらしないと思えばいいのか、混乱してしまったのだ。<BR>
いくら男の方とはいえ、ガウンの下は素肌だろうことが容易に分かった。<BR>
なぜならガウンの合わせは帯のところまではだけてしまっていて、困ったことにアークレーヌさまのぬめるような青白い首筋から胸元の一部が露わになっているためである。しかも、ガウンの裾からやはり青白く細い繊細そうな踝までも見ることができる。<BR>
疑問だった。<BR>
朝が早いとはいえ、なぜ、あんな格好で。<BR>
さすがに直視するのは憚られて見ないようにしたけれど、青白い肌がうっすらと熱を帯びたように陰影のある桃色を宿したさまは、男女の夜の後のような隠微な艶めきを示唆してくるかのような錯覚を抱かせるものだった。<BR>
けれど、アークレーヌさまのうっすらと血の気を宿した胸元に、それよりもひときわ赤い斑が数個あるのを見つけたような気がした。<BR>
キスマーク(hickey)?<BR>
心臓が大きく鼓動を刻んだ。<BR>
なにを馬鹿なことを。<BR>
自分のはしたない連想を打ち消す。<BR>
考え付くことができるのは、何か相談事があっておふたりで遅くまで話し込んでしまってアークレーヌさまがお部屋に戻るタイミングを逃したことくらいだろうか。<BR>
そう思った。<BR>
だって、おふたりは父と息子なのだから。<BR>
穏当な行動はそうだろう。<BR>
他になにがある?<BR>
だから、こんなところで息を殺して盗み見ていないで、普通に出て行って朝の挨拶をすればいいのだ。<BR>
おはようございます−−−と。<BR>
ことはそれで普通に戻る。<BR>
はずなのに。<BR>
目の前で繰り広げられるやり取りに、昨日覚えた不安が鎌首をもたげてくるのだった。<BR>
「アークレーヌっ」<BR>
ウィロウさまがアークレーヌさまの腕を掴んで抱え込む。<BR>
わたしといるときには見せることさえもなかったほどの激しさで抱きしめて、<BR>
「無理をする。それほど私の部屋に居たくないのか」<BR>
聞いたことがないほどに真剣な口調で、まるで掻き口説くかのように言うウィロウさまに、心臓が握りつぶされるかの錯覚があった。<BR>
「いや」<BR>
十六歳の少年のものとは思えないほど、力のない拒絶に、背筋がそそけ立つ心地だった。<BR>
この声は。<BR>
「もう、いやだ」<BR>
この口調は。<BR>
「いやなんだ」<BR>
まるで………。<BR>
「旦那さま、このままでは御曹司の体調がまた悪くなられましょう。私がお部屋まで」<BR>
わたしが口を掌で抑えた時、ハロルドの声が聞こえてきた。ちらりと彼がわたしの方を見たような錯覚があった。<BR>
落ち着き払った彼の声に、ささくれ立った神経が癒される心地がした。<BR>
ああ。やっぱり。<BR>
アークレーヌさまは何かウィロウさまに相談事をしていて、そのまま体調を崩されたのだ−−−と。<BR>
不思議な安堵感があった。<BR>
「ひとり、ひとりでもどれる」<BR>
そんなアークレーヌさまの張りのない声に、<BR>
「青いな」<BR>
ウィロウさまが顎を持ち上げられたのだろう。アークレーヌさまの前髪が乱れて、いつもはその下に隠されている容貌を刹那あらわにした。<BR>
「ハロルドについていってもらえ。それもいやだというなら、私が抱いて連れて行ってやろう」<BR>
熱のこもった、まるで睦言を紡いでいるかのようなウィロウさまのことばに、わたしの顔は赤く染まり、足から力が抜けたのだ。<BR>
ああ。<BR>
ウィロウさまは………。<BR>
その時、わたしの心の中には、ひとつの疑惑が芽生えていた。<BR>
<BR>
唾棄するべき、恐ろしい疑惑だった。<BR>
<BR>
彼らの姿が消えてしばらくして、わたしはふらふらと部屋を出た。<BR>
心の中を占める妄想にも等しいものが恐ろしくてならなくて。<BR>
それがもしも真実であったとしたら−−−。<BR>
あまりにも恐ろしいそれに、ここから出てしまいたくてしかたがなかった。<BR>
なんの証拠もありはしない。<BR>
そう。妄想にも等しいものに過ぎないのだ。<BR>
けれど。<BR>
同様に。<BR>
恐ろしいそれを打ち消す証拠もありはしないのだ。<BR>
誰かに訊ねてみることだとて、できはしない。<BR>
そう。<BR>
例えば誰かに、<BR>
「ウィロウさまはアークレーヌさまを」<BR>
小さく口の中で音にしてみただけで、考えるだけで、動悸が激しくなる。<BR>
その先の言葉を紡ぐことができない。<BR>
はしたないから?<BR>
確かにその疑惑ははしたない。<BR>
不道徳すぎる。<BR>
あってはならないことだ。<BR>
ひととして。<BR>
親子として。<BR>
口にするのも恐ろしいそれを、現実にもし仮に口にすることができたとして、おそらく、わたしの質問を受けた誰かは、狂った者を見るような視線をわたしに向けてくるだろう。<BR>
誰にも。<BR>
誰にも、問う術はない。<BR>
ウィロウさまにも。<BR>
ましてや。<BR>
アークレーヌさまになど。<BR>
おそらくは、彼こそが、わたしの、恋敵に違いないのだから。<BR>
脳裏を、ぬめのような青白い肌が、桃色の陰影が、過る。<BR>
十六の少年とは思えない細い首が、深く切れ込んだ鎖骨の儚さが。<BR>
かすれた小さな声が。<BR>
胸元の赤い斑模様が脳裏から消えてくれない。<BR>
首を激しく左右に振った。<BR>
違う。<BR>
違う。<BR>
違う。<BR>
そんなことを考えてはいけない。<BR>
けれど、そんなことに取って代わったのは、ウィロウさまに顎を取られて持ち上げられた時に乱れた前髪の隙間から見えた、彼の容貌だった。<BR>
なぜ隠しているのか。<BR>
ウィロウさまにも、先妻さまにも似ていなかったけれど、とても美しい顔だった。<BR>
「わたしは、いったい、なんのためにここまで来たのかしら」<BR>
ぽつりと知らずつぶやいていた。<BR>
誰も答えてくれるものはいない。<BR>
朝が早かったこともあって、ルイザはまだ起きていないだろう。<BR>
ひとりだ。<BR>
ふらふらと、わたしはただ足の向くままに歩いていた。<BR>
手近な石垣に腰を掛ける。<BR>
いつの間にこんなところまで歩いてきたのだろう。<BR>
遠く見えた、ヒースの花群れがすぐそこにある。<BR>
”孤独”<BR>
あれだけ群れをなしていながら、ヒースの花言葉は孤独なのだ。<BR>
「こんなところになど来なければよかった」<BR>
本国の素敵な公爵さまの求婚に、公爵夫人になれるという未来に舞い上がってしまった己の愚かさに自嘲がこみ上げてくる。<BR>
丘陵を駆け抜ける春の風が、冷たくわたしに触れては通り過ぎてゆく。<BR>
からだを震わせる。<BR>
そうして、気がついた。<BR>
「いいえ! いいえ違う。わたしは孤独なんかじゃない」<BR>
そう。<BR>
まだ目立たないお腹をそっと掌で撫でる。<BR>
「ここには………」<BR>
ウィロウさまとわたしの赤ちゃんがいる。<BR>
わたしの疑惑がもしも真実だったとしても、わたしのお腹にいる赤ちゃんこそが、わたしにとって絶対の真実だった。<BR>
「あなたがいるわ」<BR>
踵を返した。<BR>
遠く、灰色の城館が見える。<BR>
ミスルトゥ館と呼ばれるとても壮大な、異相を誇る、公爵家の居城が。<BR>
「ここがわたしの、あなたの家なのだから」<BR>
決意を新たに、わたしは引き返した。<BR>
まさか引き返した場所で、わたしをこんなにも苦しめた当の本人と出くわしてしまうだなどとは思わなかった。そうして、思わず彼を振り払ってしまい、罵ってしまうことになるだなど、想像だにしていなかったのだ。<BR>
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*****<BR>
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あれから、僕の頭を占めるのは、彼女に対する憎悪と嘆きだった。<BR>
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あれから−−−。<BR>
<BR>
そう。<BR>
彼女−−−義母上、レディ・アルカーディが父の子を身ごもっていると知ってからである。<BR>
<BR>
なぜ。<BR>
<BR>
僕には−−−できないのに。<BR>
<BR>
耳の奥で、ドルイドベルの音色が聞こえる。<BR>
誰かが、赤いレースのリボンを持って、僕に近づいてくる。<BR>
それを待ち望んでいる自分に気づいて、僕は顔を両手で覆い隠した。<BR>
来るな!<BR>
こんな思考は、おかしい。<BR>
幻の赤いリボンが、僕を呪縛しようとする。<BR>
今、僕を縛めるリボンはない。<BR>
だから、僕を支配しようとするな!<BR>
今、ここに、ドルイドベルはない。<BR>
僕は、僕のからだは、僕だけのもの。<BR>
心も、僕自身のもの………だとすれば、この害意も、この絶望も、僕自身のものなのだろうか?<BR>
違う!<BR>
そんなはずはない。<BR>
寝室のベッドにうずくまる。<BR>
そんなことがあっていいわけがない。<BR>
ふたりの母の呪縛も、父の呪縛も、僕を覆い尽くして、壊してしまいそうだった。<BR>
赤いレースに込められたレイヌの呪いも、それをわずかに緩やかなものにしようとしたレイラの思いが込められたドルイドベルも、結局は僕のからだと心を縛るものでしかないのだ。<BR>
誰のために?<BR>
父のために。<BR>
他の誰でもない、父のために、ふたりの女は僕を人形にしてしまった。<BR>
彼女らが死んだ後、彼女らの意のままに操ることができる人形に。<BR>
父を受け入れる器として。<BR>
父を苦しめる道具として。<BR>
そこにあったのは、父に対する愛情と憎悪。<BR>
アルカーディの血に対する、恨み。<BR>
ほんの少しの−−−僕に対する憐憫。<BR>
呪縛を受けて父に抱かれているうちに、僕は、彼女らの思いを知った。<BR>
絶望を。<BR>
羨望を。<BR>
それでも。<BR>
このからだは、この心は、僕のものなのだ。<BR>
それなのに、なぜ。<BR>
どうして。<BR>
当然とばかりに僕を支配しようとするふたりの女の呪いを拒む術を、僕は知らない。<BR>
どうすればいいのかわからない。<BR>
リボンもドルイドベルもないのに。<BR>
まるで水を吸う紙のように、たやすく彼女らの呪いに浸されてゆく。<BR>
憎い。<BR>
どうして。<BR>
産むことは許されなかったのに。<BR>
それなのに、なぜ。<BR>
なぜ。<BR>
死ねばいいのに。<BR>
渦巻く憎悪に吐き気がこみ上げてくる。<BR>
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