「あれ?」
ふと気がつくとまったく知らない場所にいた。
いや、まぬけな台詞だけど、マジだったりする。
まえにテレビで見たブラックオパールのような空は、よくよく見れば、葉の茂りでさ。
どうやら、オレはどこぞの森か林か山か、そんなところにいるらしい。
有名な自殺の名所じゃなければ、ま、いいか。
そのうちどっかに辿り着くだろう。
いたって暢気に構えてしまった。
う~ん。どうやらそれは、ここが現実味に乏しい場所だからかもしれない。
夢かもしれない――――。
それがオレの本音だったりするわけだ。
えと、オレの名前は―――――――と、考えてちょっと焦った。
思い出せないんだもんよ。
いくら夢でも自分の名前を思い出せないってことがあるか?
首をひねる。
でも、ま、いっか。
オレってば、どうやらとことん楽天家らしい。
あまり人が踏み分けた気配のないところなのに、すいすいと歩く。
う~ん。
石とか木の根とか邪魔になるのがないんだよな。
地面も平坦。
まるで現実を知らない子どもが画用紙に描いた絵みたいな感じ。
下生え自体根っこがあるのかないのか、邪魔にはならない。
蛇もいなけりゃ虫とかの気配もない。
そういや、鳥とか小動物の姿もないような………。
楽に歩けるのはいいんだけどさ。
獣に出くわさないのも助かるんだけどさ。
そんなことを考えながら、結構歩いたと思う。
いきなり視界から木々が消えた。
と思うと、そこは一面の緑の野原だった。
「うわあ」
こんなとこで昼寝したら気持ちよさそう。
そよ風に吹かれて、緑の草がさざめいてる。さざめく葉は太陽を反射して、きらきらと輝く。
けど、この草原も、なんだか変だった。
しゃがんですかしてみたけど、デコボコがないんだよな。
ほら、犬とかの排泄物がある所は、ない所より草が成長してたりするじゃん。それがない。
まるで誰かに管理でもされてるかのように、ぜ~んぶ同じ背丈なんだ。
「放牧地か?」
いや、それだと放されてるモノがいないのがおかしい。
「草刈場?」
そういうのがあるかどうかは知らないが。だとしても、デコボコはある気がする。
それになにより、一種類しか草がないみたいにも見えるんだ。
それに、やっぱり、羽虫とかが飛んでいない。
管理されつくされた実験場なんだろうか? 気持ちがいい場所なのに、なんだか無機質だ。
「ちょ~っと薄ら寒いかな」
シャツの上から腕をさすった。
その時だ。
馬の蹄が地面を蹴るような音が聞こえてきた。
音のほうを見れば、小さな点が段々大きくなってきた。
ゴマが豆に、豆がトマトに、トマトがメロンに…………そうして、見る間に、目の前に五騎の人馬が立っていた。
「遅くなって申し訳ありません」
馬から下りた西洋の騎士めいた服装をした男が、オレの前に、膝まづく。
なんだかどっかで見たような気がする顔ぶれだ。
「王がお待ちでございます」
オレの頭の中は疑問符でいっぱいだ。
え~と。
これは。
この状況は。
もしかして。
なんだろう。
変なデ・ジャ・ヴュめいたものが湧いてくる。
「そうだ!」
オレは手を打った。
「異世界召喚っ!」
そう。
そうだ。
ライトノベルとかファンタジーとかでお約束のあれだ。
とすると、オレは、勇者………だろうか。
オレが剣を手に、魔物と戦うのか?
オレが?
ひょろりと力こぶも情けない腕を見た。
魔法が仕える?
手を振ってみる。
指を擦り合わせてみる。
何も起きない。
「何をなさっておいででしょう」
おそるおそるといったように、騎士がオレに話しかけてきた。
バツが悪くなって、
「あ、なんでもない」
笑ってごまかす。
「それでは、どうぞ、私の馬に」
迫力のある馬にどうにか乗ったオレの後ろに、騎士がひらりと飛び乗った。
それから何が起きたかというとだな。
お約束といえばお約束。
でっかい城に連れてかれたオレは、謁見の間かどこかで、王を待ってるのだった。
たしか王がおまちです――って言わなかったか?
まぁいいけどな。
オレを連れてきた五人の騎士以外はだれもいない。
閑散とした城だ。
そう。
城に来るまでも、ほかにひとの気配なんかなかった。
これ、ほんとに、国なんだろうか。
不安だった。
うん。
薄ら寒い。
やがて、五人が膝まづいたので、オレは人が入ってきたのに気づいた。
三段くらい高くなってる玉座に人が座っている。
天井のステンドグラスから色とりどりに染まった光が降り注ぐ。
黒い衣装を身にまとった黒い髪の男がオレを見ている。
その薄い色のまなざしに見つめられた瞬間、オレはからだが傾いでゆくような気がしたんだ。
そう。
その色の薄いまなざしにオレは捕らわれてゆくような錯覚を覚えていたんだ。
「さあおいで」
落ち着いた深い声がオレを呼ぶ。
けれど、オレは動けなかった。
少しでも動けば、この場に倒れてしまいそうだった。
黒い衣装の袖から、白い手がオレに差し伸べられている。
「私の魔王よ」
魔王?
オレが?
王の声が、頭の中で高く低く鳴り響く。
オレがその場から動かないのに焦れたのか、王が玉座から立ち上がり、オレの目の前にやってきた。
王はオレを抱きしめた。
そうして。
「ようやく捕まえた」
オレの耳元で言って、クツクツと笑ったのだ。
「先生っ」
電気ショックで患者のからだが大きく跳ねる。
繰り返し鳴り続ける電子音は次第に忙しなさを増していた。
そのひとは、しずかに目覚めた。
薄暗い室内は、ここから出ることができない彼のために居心地好くしつらえられている。
成人することは難しいだろうと生まれたときに医者に言われた彼は、それでも生と死の間を行きつ戻りつしながら、二十歳を越えた。
からだを起こして、ふっと微笑む。
それだけで、青ざめた白皙に色艶がやどった。
時計の針がそろそろ午後五時を指そうとしていたからだ。
もうすぐ彼がやってくる。
誰もいない自室に、彼の独り語散る声が流れて消えた。
「幸せな夢を見ていたような気がします」
ベッドの上に起き上がりさらりと前髪が目にかかったのを邪魔そうにかきあげる。
そう。
それは、幸せな見果てぬ夢。
愛してやまない三つ年下の幼馴染の夢だった。
「愛しくて憎い、魔王のような君をやっと僕だけのものにすることができた…………」
色の薄いまなざしが、夢を反芻して眇められる。
無邪気で明るい幼馴染に、どれだけ救われ、あこがれたことだろう。
彼のように丈夫になりたいとの思いはいつしか、彼への思慕に変化した。
それでも。
同性という事実を差し引いても、自分が彼には相応しくないことはわかっていた。
「ですから。夢の中で君を僕のものにするのくらい、許してくださいね」
毎日一度は自分のところに顔を見せる幼馴染に、そっと謝罪する。
彼は知らない。
彼の焦がれる幼馴染がほんの少し前、事故にあったことを。
幼馴染の命が風前の灯であるということを彼が知るのは、今しばらくしてからのことである。
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